札幌に来て驚いたというか、自分の常識を考え直すきっかけになった話。
4年前、年長になったちぃは市盲の教育相談ではなく、小学生が通うひとみの教室の教育相談に行き始めた。
そこで懇談会があって、初めて札幌の弱視児をもつママたちと話す機会があった。
札幌に来てから市盲の勉強会&懇談?のようなものにも出席はしていたけど、全盲の子のママが多くてあまり話したいことを話せなかったので、今回は同じ弱視児の親なので色々話せるかなと期待してみた。
あれも聞きたい、これも聞きたい、と横浜では先生にもママ友にも聞けていたみんなどうしてる?的なことをかなりメモって参加してみた。
だけど、懇談会は私の想像と全然違った。
みんな困っていることないの?
不安抱えてないの?
色々聞きたがっているのは私だけで、正直途中からは私のおかしな熱量を隠すのに必死になってしまった。
そのときにははっきりわからなかったみんなとの熱量の差の原因はしばらーくして気づけた。
私、過保護かも・・・
えっ、自転車買って好き放題乗ってますだって?
えっ?スキー学習、不安だらけで事前に諸先輩がたの話聞きたくないの?
もしかして私、先のこと心配しすぎ?
後で先生の個人的な意見を聞けたけど、通級に早期(幼児期)から通っている子と、学校生活で見えにくさが表面化して3年生くらいから通級に来た子では、明らかに違いがあるって。(親の考え方に)
考えてみればそりゃそうだ。
見えにくいことに気づいてないんだから、心配はないよね。
横浜では早期に気づいた人たちの集まりにいたから、入学後に気づく人のことをうまく想像できていないことに札幌で気づけた。
横浜では早期教育という言葉を何度も聞いた気がする。
そして私自身、早くに無虹彩に気づけたことや専門の施設(神奈川県ライトセンターや横浜市立盲特別支援学校)で弱視や全盲の人に出会えたり、視覚障がいの子どもをサポートしてくれる方々や弱視児のお友達(+親)に出会えたのは自分の生涯で一番のラッキーだと思っている。
ちぃを札幌で産み育てていたら私もちぃもどうなっていただろうとすら思う。
それくらい早期発見や早期教育は重要だと思っている。
視機能の発達は8歳あたりでほぼ完成するというし。
だけど、もし気づいてなければ(いや、あの眼振はさすがに気づくが・・)、普通に?育てているだろう。
元々活発なちぃとめんどくさがりで放任主義の私。
ちぃの好奇心のままに好き放題色んな経験や体験をしているだろうな。
が、弱視とわかり、紫外線のダメージがかなり良くないだろうと察し、ちぃの生活に過干渉になったと思う。(まだ小さいからとかは別として)
横浜では同じ無虹彩でも遮光眼鏡も帽子もマストアイテムではない人たちもいる。
私はちぃの幼少期から遮光眼鏡にこだわり、被りたがらない帽子を必死に被らせ、弱視児は運動発達が遅れがちと知るなり2歳の誕生日の翌日から母子分離の体操教室に通わせ・・
そう、ちぃのためにではなく、自分の不安が少しでも減るようにというように。
言葉を換えれば自己満足で動いていたと思う。
今もそうだと思う。
ちぃがみんなと比較して見えにくいことを自覚するようになっても、自分に自信が持てるように。
晴眼の子たちと一緒に生活(学区の学校に通う)するために入学前にどうなっていてほしいか、そのために今からできることは何か。
視覚の発達に良いことは何か、悪いことは何か。
そんなことばかり考えて行動していた。
このままでいいのか?
小さいころは親の意見がほぼすべてだけど、これで将来のちぃのためになってるの?
よく「あなたのためを思って」という毒親がいるけど、私もその部類か、とも思う。
無虹彩に早くに気づいたから過保護なのか、気質的な問題か。
まだまだちぃの親であることに自信を持てない日々は続いていく・・・