無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

見えにくいことの自覚

誰でもそうだろうけど、生まれたときからの自分の目の見え方に疑問なんてない。

もちろん弱視のちぃもそうだろう。

でも他者とのかかわりが増えると、ちぃの中でも違いや疑問を感じることが増えていくのかな。

 

 

今回は3歳から現在までのちぃの見え方に関連した言動や行動について振り返ってみる。

 

 

3歳を過ぎると「〇〇どこ?」と聞いてくることが増えた。

自分では探しきれずに私に任せてくるあたり、探すのが面倒なのか私のほうが探すのがうまいと知ったのか。

・・・両方かな。

 

 

おかげで自分のものは決まった場所に置くことにもつながった・・ような・・

 

 

どこ?と聞かれても、そこ、あっち、ではちぃには一切通じないし、そもそも私が指さしてもその指すらみないんだから(予測でしかないけど、ちぃは私の顔を注視していると私の指先は見えにくいから私が指を指していることに気づかない)、場所に関しての指示語は通じない。

「テーブルの上」「テレビの前」など私なりに具体的な説明をした、と思ってもちぃにはすぐに見つけられない。

原因は家が汚いからってものある。

ちぃよ、これからも頑張って探しておくれ。

家は片付きそうにもないよ。

 

 

5歳になると3歳のりぃのほうが探し物がうまいことに気がついたようだ。

6歳になると「〇〇探してー!」「はい、わかったぁー!」と師弟関係?が成立している。

今ではりぃが探し物係になっている。

りぃが家の中の物を隠すので、りぃにしか置き場所がわからないせいもあるんだけど、率先してちぃの探し物に協力してくれている。

 

 

ちょっと悲しくなったのが、5歳のある日のこと。

外で星空をみてりぃが「あっ!お月様だ!」と言ったときにちぃは「ちぃの目には見えないけど、小さいのはお星さまだよ」って説明していたこと。

一度も肉眼で星を見たことがないちぃが、りぃに星の説明をしていることに驚きつつ、自分には見えないけど他の人には見えるものがあることを知っていて、それをさらっと口にしたことにびっくりした。

ちぃは私には「見えない」ということについては話さないし、自分と違う見え方について知っているかどうかも曖昧な時期だったので衝撃の会話だった。

私としてはどんな思いでそんなことを言ったのかすごーく気になったり、切なくなったりしたけど、当の本人が気にしている風でもないので特につっこまずに会話は終了。

 

 

ちなみに昨年、科学館でプラネタリウムを見たので、星についてはわかってくれたはず。

 

 

 

6歳くらいから「見えなくてわかりにくい」ものが表面化してきた気がする。

遠足のおやつを買いに行った時も、【自分の食べたいおやつ】ではなく、【自分で開け方がわかり、開けることができるおやつ】を確認して買うようになった。

ちぃが「これどうやって開けるの?」とか聞きながら、食べたいものではなく遠足で自分が困らないためのおやつを探していることにただただ感心した。

 

 

開けるのが苦手なのは今もあり、給食の牛乳(スクエアパックでストローがパックに張り付いている)は上手にストローを出してさすことができるけど、外食ではおしぼりを開けるのが苦手だったりしている。(切り口や開けやすい場所がわからない)

ポケットティッシュも開け方教えるの忘れていたけど、誰かに教わったのかできていた。

そう考えたら、入学前にもっと教えておかないとならないことがあったなぁと、痛感した。ダメだなぁ。

いかに授業についていくかに重点を置きすぎて、生活に関したことを全然教えてあげていなかった!

 

 

あとは裏表のわかりにくい服は裏返しに着ることもあり、下着を買うときはリボンや絵で前と後ろがわかるもの、アウターは裏と表の素材が違ったりするもの、と購入するときに意識するようになった。(今のところ衣服の購入は私が選んでいる)

ちぃも間違って着たことのある、前後や裏表のわかりにくい服は嫌がって着たがらなくなった。

 

 

 

ちぃは間違いを指摘されるのが大嫌いなので(ふてくされる、泣く)、見えにくいための間違いが起こったときに笑い飛ばせるようになってもらうのが私の小さな目標。

それって親の関わり方や声掛けでどうにでも変わるんじゃないかと思っているから。

見えにくくて間違うたびに打ちひしがれていたらたまらないもんね。

 

 

去年学校の授業で地下鉄に乗って出かけることがあったときに、ICカードの使い方を説明しないで渡したことでちょっとした事件があった。(目の前で何度も使っていたから、わかるだろうとたかをくくっていた。)

 

ちぃにはみんなが手のひらをかざして改札を通っているように見えて、自分も手をかざしたら通過できなかった、ということを笑って話してくれたことがある。

これはたぶん、先生に優しく笑われたから自分も笑い話にできたんだと思う。

これがバカにした笑いだったなら、大泣き案件。

一気に改札恐怖症の出来上がりだ。

 

今回は周りのフォローがよかったんだろう、ちぃの心の傷にはならなかった。

でもまぁ、こういうことを繰り返して、知らなくてもいい、間違えても大丈夫って思ってメンタルを鍛えてほしい。