無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

1年生時の学校生活の見えにくさを振り返る

入学前は現在の視力では1年生の間はひどく困ることはないんじゃないかとひとみの教室の先生には言われていた。

 

 

実際、黒板の字が小さくて困ったことはあったけど、拡大教科書に書いてあることは理解できたし、心配していた国語・算数はしばらくは問題なかった。

 

 

2学期末に長さの単元で5ミリ四方の小さなマス目の下に鉛筆などの絵があり、マス目を数えて長さを比べるという授業があったけど、宿題も間違えてなかったし、ちぃも困っていないと話していた。

 

 

3学期は時計の授業。

1年生は長針は細かな設定がないからそんなに問題はなかった。

 

 

国語は音読の時にちょっとした読み違い、というか単語を部分的に見て推測しているから結果間違っていたり、繰り返しの言葉は何度繰り返しているのかわかりにくくて間違うことがあった。

たとえば「そろりそろり」という言葉があれば「そろり」を3回言ったりする。

「だけど」を「けれど」と読んだりもする。

晴眼の人でも推測して読むことはあるけど、弱視よりは視界が広いというかピントの合っている範囲が広くて見える文字数が多いからあそこまでの読み間違いはないんだろうな。

相変わらず上下の眼球運動がヘタだからどうなるかと思ったけど、心配していた行の読み飛ばしはほとんどなかった。

漢字は不思議な文字(例えば「方」の字だと「十」の下に「刀」を書いていた)を書くこともあるけど、タブレットで大きな漢字をなぞらせて覚えていった。

 

 

 

入学してわかったのが、プリントの字体の変化に気づけないこと。

漢字のプリントで「休み」という漢字の書き問題があったとして、「やす」が太字ゴシックで送り仮名の「み」が教科書体だったとしてもそれに気づけないから、どこが漢字で書くところでどこが送り仮名かということが表記では理解できていなかった。

これはわかれば便利だけど、わからなくても何とかなるからいい。

あと、国語のテストによくある「ア~オのひらがなを漢字に直しなさい」や、文章の横に線が引いてあって「線のように思うのはなぜですか」的問題はどこに 記号や線が引いてあるかを探すのがヘタなことに気づいた。

これは問題に慣れていくしかないかな。

見えにくいって色々時間がかかってしまう仕組みだな、と時間制限のあるテストのことを心配してみた。(いや、たいして心配してないんだが)

 

 

授業以外に目を向けると、みんなと一緒に図書室も行くけどジャケ買いならぬジャケ借り?で、失敗すること多数。

事前に漢字の多さや文字のサイズを確認しないから、借りてから読めないことに気付く。

まぁ、それも経験。

むしろ本を借りに行くということだけでも褒めたいところ。

 

 

3学期は単眼鏡が必要な場面(黒板の字が見えない)がちょっとあったもよう。

単眼鏡はひとみの教室で借りて常にランドセルに入っているから、見えなければ単眼鏡を使っているっぽかった。

~もよう、や、~ぽかった、となるのは、ちぃが見えにくさについてほとんど話してくれないから正確なことはわからない。

書見台は指示されなくても場面に応じて使用できていると先生が言っていた。

この2つは抵抗なく使えてるみたいで安心。

盲学校の先生から以前、単眼鏡を周囲に指摘されるのが嫌で小4くらいで単眼鏡を使うことをやめた子がいたと聞いたけど、そうならないことを祈る。

 

 

そんなこんなで1年生は無事に終了。

友達はあまりいないようだけど。(そのうちこれもアップ予定)

毎日楽しく学校に通えているからよし!