無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

七夕の願い

半年前の話・・・

北海道の七夕は8月。

ちぃの入院中に七夕を迎えたんだけど、小児病棟にも短冊が用意されていた。

手術の当日、時間を持て余していたちぃに願い事を書くように勧めた。

私に見えないように離れて何かを書いて、木につけていた。

 

 

手術中の待ち時間にちぃの願い事をこっそり拝見。

 

「しあわせになりたい」

 

・・・?

私の中で2通りの思いがうかんだ。

・しあわせじゃないんですか?

・よくばりだなぁ

 

子どもって普通は将来の夢とかなりたい職業とか書くんじゃないの?

そのときの私は全く願いの意図がわからず、不思議だった。

 

それからしばらくして退院後の民間学童でのこと、七夕も終わり、大きな風鈴の形をした短冊を持って帰ってきた。

どうやらそこでも願い事を書いて飾っていたらしい。

 

なになに・・・

 

「しあわせになりたい」

 

・・・!!

これは入院前に書いたもの。

入院前から変わらず、しあわせになりたいと思い続けていたの?

同じことを書くという願い事への強い気持ちにちょっと動揺する私。

 

しあわせじゃないの?

 

しあわせじゃないの??

 

しあわせじゃないの???

 

 

民間学童の短冊には買い物をするちぃの絵もあったから、何か欲しいものがあることがその願い事につながったのかな?

本人に聞いても「ないしょ」で終わり。

 

 

でもその数か月後、びっくりするほどさらっとちぃから真意を聞けた。

 

 

学童の短冊は気に入っていたようで、秋になっても居間に飾ってあった。

それを見て話をしていたときに、ちぃが教えてくれた。

 

 

「みんなと同じになりたい」を

どう書けばいいかわからなかった。

 

 

・・・・・・。

そうなんだ。

そう思っていたんだ。

ちぃの言う、みんなと同じ、が何なのかを聞きたかったけど、その時はショックすぎて何も言えなかった。

みんなと同じじゃない自分はしあわせではない・・・ってことか。

 

ちぃなりに何かがみんなと違う、ということを感じていて、それに対して悩んでいたということは確実だろう。

そう思っていても、口には出さない。

ここがちぃの難しいところ。

悩んでいても、悲しいことがあっても、明るく振舞い悟らせないようにつとめる。

 

なんでちぃはみんなと同じじゃないと思うのか。

ちょっと聞いてくれれば、なんとでも答えるんだけどな。

さらっと聞けないあたり、よっぽど気になっていることだからだろう。

楽しく通ってるから説明してないけど、ひとみの教室のことも、学校にサポーターがいる理由も説明してない・・

ちぃの毎日にはなんで?がいっぱいなのかもしれない。

 

 

なんで私だけ。

なんでみんなはわかる(見える)んだろう。

 

そう思うことが増えているんだろう。

 

 

人より見えにくいという話はしているけど、それじゃわからないことが増えているのかな。

ちぃがわかるように説明できる自信はないけど、来年の短冊には同じ願い事を書かなくてもすむように対策を打たねば。

 

 

私自身、見えることはいいこと、という思い込みがあったけど、この1年くらいでちょっと考えが変わってきた。

見えることがいいことだったなら、ちぃの世界を全否定することになる。

ちぃが自分を否定しないよう、みんなと同じになりたいと願わなくていいことを知ってほしい。

同じじゃなくてもいいことをわかってもらうにはどうしたらいいんだろう。

 

 

でも小学生って、おもちゃにしろ何にしろ、お友達が持っているものが欲しかったりして「同じ」を求めるんだよなぁ。

 

 

「みんなと同じようにものを見る」は無理だけど、「しあわせになりたい」を叶えるための手伝いをしていこうかな。