無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

保育園生活

めでたく7月から念願の集団生活、保育園が始まった。

 

まず札幌の保育園の加配事情から。

園や区役所の話によると札幌では障がい児2~3人につき加配1人、というような感じらしい。

つまりちぃ1人のために加配がつくことはない。

 

保育園の事前面談では目のことは伝えたが、園長先生と話す機会はなかった。

系列園がたくさんあるとはいえ新設園だし、弱視児と接した経験のある先生はいなそうだったけど、先生から質問されることもなく先生もよくわからないまま受け入れた、という感じ。

 

新設だから園のリズムができるまではちぃにかまってはいられないだろう。

 

配慮事項として最初にお願いしたのは3つ。

上着掛けや靴箱、ロッカーを端にしてもらうこと。

外出時はみんなと同じカラー帽子ではなく私物の全周つば付きの帽子を使用すること。

外出時は遮光眼鏡にするよう声をかけること。

 

 

あとはどんなことで困るのか正直想像がつかなかった。

 

横浜の盲学校の先生もちぃの通っている保育園に連絡を入れてくれて、横浜でのちぃの資料を園に送ってくれた。

札幌の盲学校の先生は出張講義で保育園まで来て園の先生に一般的な弱視について話してくれた。

でも1年半後の年長時には講義を聞いた先生は2人しか残ってなかった・・

 

保育園も入園から数か月後に加配とは言わないけどフリーの保育士を増やしてくれた。

妊娠して半年でいなくなったが・・

 

 

ちぃは元々慎重派でみんなの動きを見てから自分の身のふり方を考えるタイプ。

(人見知り、場所見知りとも言う)

なのでトラブルを起こすことはなく、一番心配していたお友達との衝突などのけがはなかった。

ちぃは先生の顔と名前はわからない。

最初は色・柄で先生の話をしていた。

先生のことを聞いても「ミッフィーの服(エプロン)の先生?」

「青いチェックの先生?」と言われ、服装を全くみない私とは会話にならなかった。

それでもお友達も先生も少ないからなんとか名前も年中までには覚えることができていた。

 

 

このころのちぃは自分が人と比べて見えていないことに気づかないこともあって、困り感はなく過ごしていた。

お友達や先生の区別がつかないことも問題ではないらしい。

見えないことも「こういうもんなんだ」という感じなんだろう。

 

 

絵本は読み手の先生から3~4メートル離れたところにみんなで座ってみていた。

いや、見えてはいないんだが。

ちぃは見えにくいという仕草を一切しないから先生も見えていないことに気づかなかった。

そこで1人だけ絵本に近づいてみんなの視界の邪魔になるようなら周囲も見えていないことに気づくんだろうけど、その見え方が当たり前と思っているからか絵本に近づくようなことはしなかった。

私としては絵本が見えないままでいるのは大きな問題だったけど、年長時に単眼鏡の持ち込みも断られどうしようもなかった。

 

それでもなんとかあと少しで無事に保育園も終わる。

ちぃ、がんばったなー、としみじみ。