無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

弱視のすごろくに驚く

コロナが続くこの数年、我が家ではボードゲームやカードゲームが流行っている。

そして最近はもっぱら人生ゲーム。

鬼滅の刃の人生ゲームなんだけど、ちぃにはマスに書いてある文字が小さくて読むことが難しい。(文字サイズは8~9ポイントくらいかな?)

特定のマスで得られるカードも同じくらいの字のサイズだから読まない。

 

 

うちには世話やきの妹、りぃがいるのでちぃはルーレットを回して駒を進めるだけ。

するとりぃか私がマスに書いてある言葉を読む。

ちぃは読もうとする気が一切ない。

(ちぃは遠目にも1コマ(マス)の区切りはわかるようなのでコマを進めることには問題なし。)

ただ、毎日のようにすごろくを繰り返すと発見があった。

 

①カードの絵で何のカードかわかるようになった。

錆兎のカードは経験値カードを2枚もらえる、お館さまのカードは10万ポイントもらえる代わりに1回休み、など。

だからカードを読み上げる必要がなくなってきた。

 

 

②マスの内容も場所によってはわかるようになっていた。

これはカードほどではないけど、いくつかの特定の場所で起こるイベントは記憶していたから、そのマスは読み上げる必要がなかった。

 

私やりぃも少なからず見るだけでわかる、そのマスに止まるだけでわかることはある。

けど、ちぃのそれは圧倒的、というか覚えるのが早い。

かなりのマスの数と2種類のカードがそれぞれ数十枚、これらの内容のいくつかはもうインプットされている。

 

すごろくひとつでちぃの生活を垣間見た気がした。

読めないことを他の方法で補うことや、それに対しての集中力。

 

ちぃには自然に身についたことなんだろうけど、基本的に集中力が欠落している私からすると、疲れちゃうだろうなぁ、とムダな心配をしてしまう。

 

読みにくい小さな字を読もうとする努力もすごい(最近はジュニア文庫を読んでいる)けど、読まずに聞いたことを記憶するのもすごい。

私が普段意識していないことを常に意識しているんだと思うと尊敬せずにはいられない。

 

ジグソーパズルでも驚くことがあった。

ちぃが欲しくて買った108ピースの猫の写真のジグソーパズルがある。

私が見れば顔中心にピントが合っていて、体や背景はぼんやりしているものだった。

ただ、ちぃの見え方がすでにピントの合わない見え方(と私は思っている)で、実際にパズルをやりやすいようピースのグループ分けしているときも、色の判別はできているけど猫のピースでは体と顔の区別(ピントの差)はついていないようだった。

 

 

私はピントが合っているグループを集めてそこから顔を作っていく。

長いひげは顔周囲のピースだな、とか。

ちぃは目などわかりやすい場所から。

あまりに似た色のピースばかりだと飽きちゃうみたいだけど、協力しながらの108ピースはまだいけるようだ。

私が顔のパーツを終わらせて、ぼんやりした体のピースに行きづまっていると、ちぃが色を比べながらコツコツ1ピースずつ試して合わせてみている。

 

 

最後は色味がほぼ同じで私でもわからないようなピースをハマるかどうかひたすら確認。見える見ないの次元ではない感じ。

晴眼の私でもうんざりするような類似ピースを前にひたすらはめていくちぃ。

 

アンタすげーよ

 

私ができない(しない)努力をさらっとできる(いや、できないと色々まずいんだけどね)ちぃを本当にすごいと思う。

盲学校の先生が「弱視児は人の2倍、3倍は努力しないとならない」って言ってたからこれくらいはちぃの努力でも何でもないんだろうけど、自分ができないことをやるちぃがすごすぎて。

 

 

後は食べ終わった食器を片付けてくれれば・・

(ここで唐突に入るちぃへのボヤキ)