これも懇談の話。(1年生の12月)
その前にちぃの生態を説明しよう。
ちぃは人見知りだ。(いや、家族全員そうなんだが)
公園で遊んでいても他を寄せ付けない。
一緒に遊びたいと来てくれた子から逃げる、そして来てくれてることを伝えると「えっ、気づかなかった」と嘘をつく。
保育園では自分のことを担任に話すまでに半年を要した。
特定の友達もいず、それは卒園まで続いた。
まぁ、同じ組に7人しかいなくて女の子はちぃの他に1人しかいなかったのもあるけど。(それもちぃと真逆のキャラ)
30人程度の保育園でそんな状況だから、保育園とほぼ同数の1年生のクラスでは馴染むのに1年はかかるんだろうなって想像はできた。
さて、本題。
先生はちぃがぼっちなのを気にしているようだった。(まぁ、8か月近く経ってそれじゃねぇ、そう思われるよね)
自分からお友達に声をかけることがない。(よっぽど慣れてないとムリムリ)
お友だちが声をかけてくれても「したい遊びが違う」と断るらしい。(容易に想像できるわw)
これじゃ学年が上がったり、クラス替えをきっかけに孤立するんじゃないかとのことだった。
先生曰く、今のクラスは優しい子が多いから誘いを断っても大きなトラブルにならないけど・・・と。
私としては断るのも大事な意思表示と捉えている。
言われるがまま、の断れないタイプもしんどいからね。
後日、担任がちぃのぼっちを気にしている件で悩んでスクールカウンセラーと面談したとき、「いやだ」は大事な意思表示なのでそのちぃの対応は否定するべきではないと教えてくれた。
カウンセラーはちぃの行動を責めることはなく、むしろ担任のことを教育者が最初に勉強する心理のことを知らない、とやや怒っているかのような口調になった。
そしてカウンセラーが、いやだの意思表示をしているちぃのことを不安視している担任を否定したのは、ちょっと安心材料になった。
なぜなら担任が不安視したその一言で、それまでぼっちを楽観視していた私だったけど、事態は深刻なのか?と親の不安を煽り、結果カウンセラーに相談するまでに(やや)悩んだから。(担任の言葉に対しての、私の解釈の仕方がねじ曲がっている説もある)
もちろん私の命綱であるひとみの教室の先生にも相談した。
まずは担任としてはぼっちの子は気になるものだと教えてもらった。
そのうえで弱視児の特徴を教えてくれた。
【気を張り詰めている子が多い】
見えにくいことを視覚以外で察知(フォロー)しようとするから疲れると。
口調、間合い(空気)、足音やドアの開閉などの物音などで相手のことを把握しようとしているから、神経を使って疲れる。
だから何もしなくていい1人の時間はリフレッシュにもなるし大切だとのこと。
ちぃは休み時間体育館やグラウンドにいくことがほとんどなかった。
(ちぃは本来1人でもそれをやるキャラ)
本来、体を動かすことが大好きなのに、だ。
それに対しての私の推測とひとみの先生の見解は一致していて、無法地帯(みんなが自由に四方八方散っている無秩序状態)という誰が何をしているかもわからない場所で、耳を凝らして情報を集めようとすると疲れるからだろうということ。
さらに体育館だと独特の反響音や振動でよっぽど集中しないと、探したい人や探したい声の方向もわからなくて疲労感はすごそうなのは容易に想像できる。
ちぃはひとみの教室でやることはその時々で違うらしい。
もちろん基本は学校の復習や単眼鏡やルーペの練習など勉強。
たまに先生が「何する?」と聞くとゴロゴロしたい、ということがあり実際ゴロゴロしている。
それも大事な時間というのがひとみの教室の先生の考え。
それくらい学校で疲れているであろうと推測・理解してくれている。
基本的な体質?というのか、ちぃはりぃより良く寝る。
性格上、夜更かししてテレビ見たい派と、テレビにさほど関心がない派というのもあるけど、7歳のちぃは5歳のりぃより早寝。
目を凝らし、耳を澄まし、学校という多くの人がいる場所で過ごすのは頭(気持ち)も身体も疲れるんだろう。
そう考えると、休み時間にぼっちでもそれがリラックスタイムになっているならよし。
担任が心配する状況ではない、ということをひとみの教室で相談した話を踏まえて担任に伝えた。
1年生の冬、こうしてちぃは担任公認?のぼっちになったw