無虹彩で弱視の娘のこと

先天性無虹彩症の娘の備忘録的成長記

第一子、ちぃ誕生!

2012年春、横浜でちぃは生まれました。

高齢の初産婦の割に経過は順調でしたが諸事情で帝王切開でした。

なので入院期間が少し長くて10日ほどありましたが、ちぃが初めて目を開けたのは退院前日の夜中でした。

 

先生は目玉もあるしそんなに問題はないと思うけど、先天性の眼瞼下垂の可能性があるから病院に行ったほうがいいと、横浜労災病院を紹介してくれました。

眼瞼下垂と言えば老人のアレだ、重力にまぶたが耐えられなくて視界をふさぐヤツだ。

そんなの美容形成でよくある手術だし・・と軽い気持ちで労災病院へ。

 

生後15日くらいでの受診でしたが「今は少しだけど目も開いてるから大丈夫」と言われ再診もなく労災病院の受診は終了しました。

 

 

今思えば1人目って怖いなって思う。

正確には無知と私のキャラが怖い😖

先生の大丈夫、を何も問題がないと受け止め問題を感じていなかった。

(かなりの楽観的キャラです😐)

第二子ならすぐに異変に気付いたと今なら思う。

 

しかももし眼瞼下垂などで視界が遮られる状態が長く続くと視機能が発達しないらしい。

あぁ、知らないって恐ろしい!

 

 

 

 

 

この後ちぃの目に診断がつくのは生後3か月。

このあとも診断がつくまでのエピソードをいくつか書きますが、内容としてはいかに医療者がちぃの目のことに気付かなかったか、ということが続きます。

医療者へのバッシングではありません。

私も医療者のはしくれだし。

そんな私も気づけなかった。

 

先天性無虹彩症は5~10万人に1人と言われています。

症例が少ないってこういうことなんだなって痛感しました。